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石坂千穂つれづれ日記

石坂千穂つれづれ日記

公明党佐野議員の発言取り消し動議の提案

br>       佐野議員の発言の取り消し動議の提案について

 昨日の県議会において公明党の佐野功武議員は、一般質問で取り上げた北朝鮮による拉致問題を用いて日本共産党への不当な攻撃を行ないました。
 佐野議員は、特定新聞の社説のごく一部を使って、日本共産党が北朝鮮の拉致問題の解決を棚上げにし、解決を大きく先延ばししてきたと主張しました。これは、真実をゆがめ、拉致事件に心を痛めている県民の気持ちも考えず、県民の暮らしの問題をはじめとする切実な要望や厳しい県の財政再建についてなどを論議している県議会という公的な場を党利党略に利用し、日本共産党を誹謗中傷しようとしたものであり、黙って見過ごすわけには行きません。

 昨日来、事実に反する発言の取り消しを求めて、正副議長にも調整をお願いし、他会派の議員のご協力もいただきましたにもかかわらず、当事者の佐野議員にも取り消しをお願いしてきましたが、残念ながら応じていただけませんので、この動議を提案せざるを得なくなりました。

 私は、第一回の質問で佐野議員が、「一部政党が誤った認識を持ち、問題を棚上げにしてきたことで、解決が大きく先延ばしされてきた事実についても厳しく反省を求めなければならないものであります。」と述べたとき、その「一部政党」という表現を使って非難されるべき政党が日本共産党だとは考えませんでした。なぜならば、この問題の解決を最も先延ばししてきたのは歴代の政府です。北朝鮮による許しがたい国家犯罪である拉致問題の被害者やそのご家族の皆さんのお気持ちを思うとき、この問題の一日も早い解決を誰もが願っているのは当然のことです。ところが日本政府は、戦後56年もたつ今なお、北朝鮮とは正式に国交も回復していないという異常事態を放置してきました。このため、日本と北朝鮮の間にある、多くの外交上の解決を迫られている問題が先延ばしにされてきたのです。拉致問題もそのひとつです。
 その意味で私たちは、長年の沈黙を破って、今回踏み込んだ外交交渉に自ら臨んだ小泉首相の決断と行動を歓迎し、強く支持しました。

 佐野議員は、第2回目の質問で、「国民の皆さんも、そんな政党があったのかということで、事実を知らない方もおいでになります。」と述べていますので、私は、ここで、事実をご紹介させていただきます。
 拉致問題などの不正常な問題の解決にあたって、今問われなければならないのは、70年代前半、北朝鮮が金日成個人崇拝を強め、国際的な無法行為をすすめたその時期に、各政党がどういう立場をとったか、ということです。日本共産党はこれらの問題を厳しく批判してきたため、1983年以降、朝鮮労働党との関係は、断絶したまま、今日にいたっています。
 一方この時期に、公明党は、1972年に訪朝団を送り、共同声明で金日成個人崇拝体制を礼賛したことに始まり、80年代のラングーン事件や大韓航空機爆破テロ事件では、発生からほぼ1年や2年たつまで犯行を認めることも批判することもせず、日本漁船銃撃事件では事実上北朝鮮の立場を弁護する国会質問まで行なっています。最近でも、97年10月9日の金正日朝鮮労働党総書記就任にあたり、当時「公明」の代表が個人崇拝の祝電まで送っています。
 拉致問題について言えば、89年7月、公明党・国民会議の国会議員6人は、北朝鮮の工作員が韓国政府に摘発された事件に関し、来日する韓国の大統領あてに提出された「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」と題する要望書に署名し、拉致実行容疑者の釈放を「要望」までしています。
 佐野議員は、読売新聞の社説を紹介されましたが、11月28日号の「週刊文春」には、「弟・増元照明さんも怒る――公明党は学会員拉致被害者を見捨てた!」と言うタイトルの記事が掲載されています。11月24日のテレビ朝日系「サンデー・プロジェクト」で、司会者が「増元るみ子さんの弟さんが『公明党に頼んだけれども、何もしてくれなかった』(といっている)」と質問したのに対し、公明党の高木衆院議員は「党全体で取り組むという形にならなかった」と弁明し、「浜四津さんが増元さんに・・・お詫びする・・・」とこの問題に取り組んでこなかったことを認めています。反省すべきは公明党ではないでしょうか。

 1988年、拉致問題の解決を求めて、はじめてこの問題を国会質問で取り上げたのは、日本共産党の橋本敦参院議員でした。その後、諌山博参院議員、木島日出夫衆院議員がくりかえし国会質問で取り上げてきましたが、この拉致事件が、疑惑の段階から事実として確認されるまでには、長い年月の被害者と家族の皆さんの苦しみと戦いがあり、国会での議論、さらに日朝国交正常化交渉、両国首脳会談を待たねばなりませんでした。
 1997年1月21日に、横田めぐみさんが北朝鮮で生きて生活しているらしいという情報を最初に父親の横田滋さんにお伝えしたのも、国会の橋本参院議員の議員会館の部屋で橋本議員の秘書からでした。そして、横田さんご夫妻は、熟慮の末、実名で救出運動に立ち上がることを決意されたのです。
 99年の当時の不破委員長の代表質問で、拉致問題などの両国間の不正常な懸案事項の解決のためにも、日本の側が国際的な道理を踏まえ、北朝鮮と正式な対話と交渉のルートを開くことこそ重要という主張は、局面を変える問題提起となりました。
 新潟で横田めぐみさん救出運動を行なってきた「横田めぐみさん等拉致日本人救出の会」が98年4月に発行した記録集では、産経新聞の阿部雅美編集局次長が「拉致疑惑をもっとも熱心に国会で取り上げてきたのは共産党の議員です。共産党と産経新聞は昔から仲がよくないのですが、これはそういう問題ではありません」と述べています。
 拉致問題も日朝の首脳会談で北朝鮮自身がともかくも犯罪の事実を認め、謝罪したという中で真相の究明、責任者の処罰、被害者の方々への謝罪の補償を求めています。いま北東アジアの平和、日本の平和と安全の立場という大きな視野に立って、交渉によって拉致問題も含めた日朝の懸案を包括的に解決を求めていかなければなりません。さらに無法を犯した国だからこそ理性と通りに立って冷静な交渉態度を貫くべきだというのが、私たちの主張です。国際社会も日本の多くの世論とも合致できる内容だと思います。

 私は、一連の事実について、その一端をご紹介させていただきましたが、拉致問題の解決は国民的要求であり、政治的立場の違いを超えて一致点で力をあわせることこそ大切なのであり、人命と人権にかかわる問題を党利党略や他党攻撃に使うことは、厳に慎むべきことだと考えています。
 私は、今後の議会運営において、この種の事実に基づかない発言の自粛を求める意味でも、県議会の場を、残念ながら拉致問題の真の解決には逆行する場に変えようと、一部新聞の記事を紹介するという形をとり、事実経過を正確に調べもせずに、日本共産党への攻撃に使おうとした佐野議員の発言の部分についての取り消しを求める動議を提案いたします。

                                      以上



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